鮎川 義介(あいかわ よしすけ)は日産の創業者です。
1928(昭和3)年、「日産」の名称の発端となる日本産業の取締役社長に就任し、1933(昭和8)年12月には資本金1,000万円で自動車製造株式会社を横浜市に設立し、取締役社長に就任しました。
その後、民族資本の自動車工場としては東洋一の生産規模に達し、少数ながら輸出も開始し、鮎川義介の壮大な夢が実現され、今日の世界に飛躍する日産自動車の基礎が築かれました。
目標を達成した鮎川義介は1939(昭和14)年5月に会長に退きました。
名前 | 鮎川 義介 (あいかわ よしすけ / あゆかわ よしすけ) |
生没年 | 1880-1967年 (享年86歳) |
出生地 | 山口県吉敷郡御堀村字辻 (現:山口県山口市大字大内御堀721-3) ※出典:「鮎川義介先生追想録」(1968年)より |
<参考>
鮎川義介についての詳細は、以下のWEBサイトにてご紹介しています。
(日産公式サイト) レジェンド 01:先見の明を宿した近代人、鮎川 義介。